2008年5月6日火曜日

時は大阪万博で日本中が大騒ぎ


1970年、大阪万博が開催された。会場はそう、ガンバ大阪のホームタウン千里丘陵。
あの太陽の塔とか、日本館、アメリカ館と各国のパビリオンが軒を連ねた。
月の石を見るのに3-4時間平気で並んだ。どこへ行ってもこの有様。
家には休みになると親戚が泊まりに来る。
私ら子供は・・・放課後になると自転車で行ったもんです。そんだけ近かった。
とにかくガイドブックにスタンプを押して、誰でもいいからきれいなコンパニオンのお姉さんにサインもらうこと。これが大命題。(マセガキ)

さて、その頃にはマイカーラッシュとなりました。うちでも親父が新車を購入。
ホンダ360。マニアにはたまらない。この車、軽のくせに良く走る。
今、存在していたらいくらになるのだろう。
そんな沸き返る日本で公開されたのが、「大空港」。
近代パニック映画の走りです。しかもオールスターキャスト。
バート・ランカスター、ジャクリーン・ビセット、ディーン・マーチン、ジョージ・ケネディ、ヘレン・ヘイズ他。

ヘレン・ヘイズはこの作品でアカデミー賞を獲得。
原作はアーサー・ヘイリー。
吹雪の中、着陸に失敗し閉鎖された空港をめぐり、着陸したい飛行機と管制塔、現場、緊張感あふれる作品です。特に訳ありの人間関係が面白い。
この作品以降、「エアポート75」・・・シルビア・クリステルも出てたかね。
「エアポート77」、「エアポート80」と続きます。
だんだん特撮が入り始めるので、それも面白いかな。
最初の大空港を見ると、セッティングが・・・あれですよ。
「ダイハード2」と同じ。
閉鎖された吹雪の空港。あっちはテロを一人で何とかしちゃうんですけど。

この作品以降、パニック映画=オールキャストの図式ができます。
ヒットしちゃったから。
ちなみにそれにを挙げると・・・
タワーリング・インフェルノ、ポセイドン・アドベンチャー、大地震など。
翌年の71年にはこそっとスティーブン・スピルバーグが監督デビューします。
「激突」ですね。これは一人パニック。

この時期から映画館はでかい画面が多くなります。
70mmだったり無駄に横に長い。椅子もフカフカな豪華物に。
いい時代です。シネコンとは違い、いい映画をいい環境で観る時代でした。

2008年5月4日日曜日

忍者映画全盛 = 1 =




小学校の頃の夕方6-7時といえば、子供のテレビタイム。
当時まだ白黒だった我が家でも、ご他聞にもれずNHKの人形劇に始まりアニメが主流を占める。
その中でも、映画ではまり、テレビでさらに夢中になったのがこの2本。
まずは白土三平原作のワタリとカムイ外伝。

「大忍術映画ワタリ」(東映/1966.7公開)
マサカリかついだ金太郎ではないが、子供が斧を振りかざす危険な映画。
だが、この子供が強い。まあ、サスケを思い出してもらえればいいかと。ってサスケも知らないか?
とにかく話の展開が早くついていけない。
映画の出来の悪さ(?)に白土氏が激怒したとか。
続編がボツになったあとに製作されたのが「仮面の忍者 赤影」(1966.11-1967.2。
このテレビ特撮時代劇「仮面の忍者赤影」(1967.4-1968.3放映)には映画「ワタリ」主人公ワタリ役の金子氏が青影として出演。主役赤影役を務めたのは2003年7月13日に亡くなった坂口祐三郎。
金子さんといえば、天才子役。今で言えば・・・えなりかずきか・・・。

忍風カムイ外伝はもともと、カムイ伝のサイドストーリー。
カムイ伝といえば唯一小学校の図書館にもあった漫画。
東大紛争の際にも、バリケードの中で読まれていたのもこれ。とにかく逃げるしかないもんね的ストーリー。
休まりませんてば。
農民などの身分の低い人々の苦悩とあわせて、重い作品。
同じ時期にフジテレビ系列で放送開始。この時の放送時間が日曜6時。で、同時に新番組が6時半から始まりました。
これが、サザエさん。何年やってるんだ。リアルタイムで見ていた俺も俺だが・・・。

ミュージカルなんて嫌いだ




小さい頃から映画を観てきたけど、小学校に上がるとよく言われる「教育上・・・」ってやつの規制が入りました。ええ、親が決めたものです。ですから個人的にはサイケデリックな映画や当時始まったニューシネマと呼ばれるものは、その後、かなり後になってカットされまくりの映画とは呼べない代物を見せられ、一気に不良化していきました。(精神的に)
さて、その規制の中、よく見せられたのが「ミュージカル」と言われる非日常的なもの。
いや、悪いと言っているのではなく、その実力派揃いの映画が子供に対して決してよい影響を与えていないんじゃないかと。私みたいに。
つまり、映画をシャに観ちゃうんですよ。「そんな調子の良いものあるわけねぇだろ!」ってやつ?
でもこの2本(プラス1本)は素直に、「参りました。」と言わざるをえない。
ひとつは「サウンド・オブ・ミュージック」そして「メリーポピンズ」そして私が今でも愛してやまないオードリーヘップバーンの「マイフェアレディー」です。
へたな解説などいりませんね。とにかく観てください。
今でも色あせないし、今では作れない映像、演出だと思います。
この系列は後々、私の映画の好みにビミョーに影響していきます。
特にオードリーはね。

刑事モノの大氾濫


当時はまだ、白黒テレビのため刑事モノはやはりその特性上、暗ーいストーリーが多かったように思いますね。一番最初に見たのがおそらく、「部長刑事」(朝日放送系)、です。30分番組でしたが時間帯が良かったせいかよく見た記憶があります。
その次あたりが「ザ・ガードマン」。これは宇津井 健のキャップを筆頭に神山 繁など実力派が出演。あの時期、刑事モノはかっこいいというより、行動力を前面にゴリゴリ押し進めるストーリーが多かったかと。その後は「七人の刑事」、有名ですね。
「太陽にほえろ」が始まったのはずーっと後。小学生の頃になります。悪たれ役の印象が強かった石原裕次郎(太陽の季節なんかそうですし)がボス? でも子供受けしました。

個人的には「特捜最前線」、「Gメン’75」当りまでかなと。
渋目が好きなんですね。これは映画方面にも影響しています。このあと70年代になると面白いものが出てきます。時代は古いですが、「夜の大捜査線」(シドニーポワチエ)、「フレンチコネクション」(ジーン・ハックマン)につながってきます。

TV映画全盛



とにかく、夜のお茶の間はTVなしでは語れない。チヤンネル数は限られていたが、その中でも土曜日とか日曜日は大人のTV映画で夢中だった思い出がある。当時はおそらく再放送だったとは思うがはっきりしない。特に好きだったのは「ベン・ケージー」。脳神経外科医を主人公にしたアメリカのテレビドラマでビンセント・エドワーズが演じている。日本でも昭和37年から放映され、日米とも驚異的な人気を博し、TBS の視聴率もついに51%に達した。最近でみるとERの先駆けだ。その枠は日曜日だったか?夜8時台ー9時台というと、「逃亡者」(これも映画化。)、「コンバット」、「ミステリーゾーン」(これまたスピルバーグがトワイライトゾーンで映画化)、「ヒッチコック劇場」などアメリカのドラマ映画に堪能していた。子供だから、その面白さよりも「親と一緒に見れる」楽しさの方が割合高かったんだろう。当然白黒テレビだから、怖い場面が余計にリアルに思えた。白黒の濃淡って演出としては最高な味付けだと思いますよ。ちなみに麻雀放浪記ほどに狙ってませんから。現在CS(スカパー)スーパーチャンネルでいろいろやってます。便利な世の中になりました。
好きなSFドラマはこの次で・・・。

お化けでもないのに異常に怖いゴラス




なんちゅーか、地球の6000倍っすか。これが地球に衝突するって。1962年東宝の作品ですね。これもロードショーでは見れてません。当然リバイバルか3本立ての映画館で見たもの。あの円谷英二の特撮ならば見逃すはずも無い。当時としては特出していたかと思いますね。天変地異の場面はもうお手の物って感じ。怪獣まで出す必要があったかどうかと。主役はあくまでもゴラスです。あのにくにく憎たらしいほどに、どうにもならない大きさ。何でも引っ張り込む強大な引力。これをすでに考えて映画にしたアイデアに脱帽です。さらに地球にロケット噴射を建設して軌道を変え、ゴラスを避ける発想。あーた、只者じゃないね。と思いきや、監督は本多猪四郎!ゴジラ?こりゃ親の方が夢中になるってもんです。子供にはあの映画館の大音響でゴラスを見せられると、それだけでちびっちゃいますよ。(根がチキンですね。)女の人の入浴シーンは何のため?はて?

初めての子供らしい映画観たよ



大人と一緒に映画館に行くものだから、初めて子供らしい映画を観たのがこれです。当時手塚治虫のジャングル大帝か石森章太郎のサイボーグ009。初期のアニメ化のやつです。これはもう何回もリニューアルされているので説明の必要は無いでしょう。コミックスはもう擦り切れるほど読んだ記憶があるし、テレビっ子だったからアニメは見まくりでした。ただ、漫画と設定が違うのでおかしいなとずっーと子供として気になってたんですが、「大人の事情」ってやつを知るにはもう少し時間がかかりました。その当時の映画館は隆盛で、大阪市内だけでも多くの映画館がありました。しかし映画館で座った記憶がありません。ほとんど立ち見だったですね。映画館に行けば、カラーの映像が見れる。これはもう最大の娯楽でした。実際テレビはずっーと白黒でしたから。
でもこの作品、なんで島村ジョーだけ白い戦闘服なんだよ。
ここからしばらくは「東映まんがまつり」の恩恵を受けることになります。この恩恵、子供の時分で吹っ切れてよかったかと。この作品、確か2本作られていたんですね。同時にテレビアニメも放映始まってましたが、あまり観た記憶が無い。たぶん時間が合わなかったんじゃないか、裏番組の方にハマッテいた可能性が高い。また唯一、フランソワーズに女を感じましたね。年上好みはここから始まったかな?主題歌とか好きで、親にソノシート(絵本についてくる昔のEPレコードのもっと薄いもの)を買ってもらって、何度も聞いた想い出があります。(当時のアニメとかほとんど持っていたので、とっておけば良かったと後悔してます。)大人の映画を観る傍ら、こんな映画を観てホッとする自分。とっちゃん坊やだね。

道・・・幼心に衝撃 ! なんでだろ



これを観たのは、たぶんリバイバルだろうか。製作年からしてまだ生まれてなかったし。とにかくすごく泣いた想い出があります。やっと幼稚園に入ったころだろうか。字幕が読めないから余計想像を掻き立てられたんだろうか。どうしてこのおじさんは一緒にいる女の人をいじめるのか。どうして女の人はそれでもあんなに笑っていられるの? 最後に男が泣く。そこまで取り返しのつかないことをしておいて・・・。やるせなかった。子供心に、一緒にいる人が亡くなるという事に初めて涙した瞬間かもしれませんね。それだけのインパクトはあります。当時NHKで放映されるたびに観てました。そのたびに泣いてましたが。10本ベストを挙げるとすると、必ず入るな。監督はあのフェデリコ・フェニーリだと知ったのは高校に入ってからです。女優のジェリッタ・マシーナ(頭の悪い女の子役)がその監督の奥さんだと知ったのは、もっと後の話。

監督 フェデリコ・フェリーニ 出演 ジュリエッタ・マシーナ、アンソニー・クイン、リチャード・ベースハート 音楽 ニーノ・ロータ 1954年作。 アカデミー外国語映画賞を獲得。
大道芸人のザンパノは鎖を体に巻きつけ、それを引きちぎって見せる芸で旅をしている。力はあるが、自分の欲情だけしかない粗野な男。彼は貧しい家の女、ジェルソミーナを買い、昼は相棒、夜は情婦としてぼろきれのように粗末に扱った。ジェルソミーナは白痴だが天使のように純粋無垢な女。ザンパノは僅かの金が入ると、飲んだくれて、娼婦のもとへしけ込んだ。ジェルソミーナにとって最初の男であるザンパノの存在は絶対だった。来る日も来る日も、アメリカ製のオートバイにワゴンを付けたザンパノとジェルソミーナの旅から旅の生活が続く。やがて冬が来て、サーカスに身を寄せた二人の前に、“キ印”と呼ばれる陽気な男が現れた。彼はジェルソミーナに美しい調べを聞かせた。二人の間に不思議な心の交流が芽生えた。だが、本能的に気に食わないザンパノはふとしたことから“キ印”を殺してしまう。悲しみのどん底に突き落とされたジェルソミーナは、いまやまったくの白痴となり、ザンパノの邪魔者だった。ザンパノは彼女を棄てた。何年か時が経った旅の途中で、ザンパノはどこからか聞こえてくる歌声を聞いた。ジェルソミーナが良く口ずさんでいたメロディだ。何年か前、ここの工場で野垂れ死にした乞食女が、子供達に教えたのだという。その夜、したたかに酔って喧嘩し、袋叩きにあったザンパノは、生まれて初めて、心の中にぽっかりと空洞を感じた。今、彼の脳裏に浮かぶのは、天使のような穢れの無いジェルソミーナの豊かな愛情だった。無限に輝く星空の下、ザンパノは砂浜の砂に体を打ち付け、獣のように泣きつづけるのだった。

最初の映画でトラウマ


誰しも一番最初(というかここから記憶が始まったところ)に見た映画というのがあると思います。僕の場合、おそらく父親に連れて行かれて見た「怪談」(1964年) です。当時は公民館などで映画を見る機会が多かったので、多分町内のイベントでやってたんでしょう。あれは子供心(というかまだ幼児)にかなりキターという感じ。というかふさわしくないんじゃない?
今でも鮮明に覚えてます。耳なし法一が耳をとられて血まみれになった場面。「なんでこのお坊さんは耳とられちゃったの?」って聞くこともなく、あっけにとられていましたが、あまりに映像がきれいだったことだけは心に残ってます。この作品、BSで一度やったのを見ましたがテレビでは迫力不足ですわ。
この「怪談」は当然、小泉八雲の小説から「黒髪」「雪女」「耳無芳一」「茶碗の中」の4編を選んで映画化されています。小林正樹監督が9ヶ月の撮影期間と3億2千万の制作費をかけて作り上げた作品。恐怖そのものを描くのではなく、怪談という素材を通じてシュールで耽美的な美しさを描くことに主眼が置かれた幻想的な作品。新珠三千代、渡辺美佐子、岸恵子、三國連太郎、仲代達也、丹波哲郎らが出演。カンヌ映画祭審査員特別賞受賞。
これが僕の映画館(になるのか)デビューです。この時代、父25歳、母21歳、同じ大学の同級生だった2人は結婚、長男でしたが実家の家業を継がず家族3人で大阪へ。時は高度成長期に入っていました。

名前の由来から


さて、第一弾は自分の名前が付いた理由がこの映画なんですよ。ウチの親父もご多分に漏れず映画好き。しかも当時からカメラ小僧だったようで、その所蔵された写真はすごい数に及んでいます。なかでも好きな映画が「忠臣蔵」。ベタな日本人なんですね。しかもこの映画を見て私の名前を決めたらしい。この「忠臣蔵」は多数作られていますよね。中でも昭和33年の大映作品の「忠臣蔵」です。監督の渡辺邦男は「明治天皇と日露大戦争」その他、美空ひばりの映画を多く手がけたベテラン。主人公の大石内蔵助にはあの長谷川一夫。当時の写真を見ても美男子!この人は年をとってもその輝きは失せなかったですね。その他は志村喬(おじいちゃん役がはまり。黒澤明の「生きる」ではもう絶句もん)浅野内匠頭には眠狂四郎の市川雷蔵。そうそうたる大御所(オールスター)総動員ですね。当時の大映の勢いが見られます。「おのおのがた、待たれい!」この文句、まさにチャンバラ好きにはたまりませんな。そんな役の中の名前を付けられた私って・・・、未だに役不足?

あぁ、青春のシネマ館~ってか


別にブログを持っているんですが、映画についてはほとんど語っていません。というのはサッカーに夢中なんです。今。でも趣味の中でも映画やドラマ(特に外国映画)については昔っから好きでしたから、何かの形で整理しておきたいなと思って、こっちには映画専門のブログを立ち上げました。できるだけ資料を探して紹介していきたいと思います。ある意味、どんなブログになるか予想できませんがお楽しみに。ただし当時の年齢と映画の適正さがリンクしているかどうかは、見逃してください。